奈良晒の起源

「奈良晒」はあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、良質の高級麻織物です。江戸時代に入って奈良町にとって主要な物産となり、隆盛期であった江戸中期には奈良町の住人の9割ぐらいは何等かの意味で奈良晒に関係していたといわれるほどだったようです。

「多聞院日記」で、天文18年(1549)に晒の関係記事が出ています。室町時代後期には既に苧麻を用いた麻織が生産されていたことがわかっていますが、商品生産としての奈良晒業が成立したのは江戸時代になってからです。徳川幕府の御用達品として認められたことが奈良晒の名声を高めることになり武家や町民の贅沢品として、裃や夏のひとえものとして用いられていました。

しかし明治維新後は需要が激減し、その後、麻織物や絹・木織物の続出により晒業者は徐々転業や廃業に追い込まれました。そして現在では伝統工芸の分野として小規模に生産されているにすぎません。

 

奈良晒ができるまで

生産工程は大きく分けて ①苧うみ ②織布 ③晒しの3工程です。

①苧うみ
大麻(青苧)を積んで糸にし(苧うみ)撚りをかけて経糸を作り、これを度数に応じて整経する。

 

糊づけ、もじり入れ等を行って、機(はた)にかける。(※現在、原料となる大麻は栃木県より仕入れています。)

 

②織布
へそ巻きした緯糸杼に入れ、機にかけた経糸の綾の間に杼を通して織り上げる。

 

③晒し
織り上がった麻布(生平)を、数回の晒工程を経て真白く晒し上げて仕上げる。

この生地で茶道各流派の茶巾に手縫いしたり、型染めを中心に、のれん・タペストリー・袋小物などを製作しています。